台湾の国神・鄭成功と日本の深い関係

台湾文化

台湾では孫文、蒋介石に並んで鄭成功が「三人の国神」と言われています。

日本人は学校(義務教育)の歴史の授業で、台湾について深く学ぶ時間がほとんどないため鄭成功を知らないという人も多い。

しかし、鄭成功は日本と深い関係があるということをここでは紹介しようと思います。

 



鄭成功(ていせいこう)とは

まずは、簡単に鄭成功について。

 

鄭成功は中国人の父親と日本人の母親の間に生まれました。

父は中国福建省出身の貿易商で1621年頃には日本の平戸島(長崎県)に住むようになったと言われており、やがて日本人女性(田川マツ)と結婚をして日本で鄭成功が生まれました。

母親が千里ヶ浜に貝拾いに行った折に産気づきその場で出産したという逸話があります。

 

その後中国本土にわたり、明に仕えていた父親の紹介で鄭成功は隆武帝に謁見しました。鄭成功を見た隆武帝は彼を気に入り、国姓である「朱」を賜りました。

鄭成功は賜った「朱」姓を名乗ることはなかったですが、人からは「国姓を賜った大身」ということで「国姓爺」と呼ばれるようになりました。

 

やがて明は清に敗北を重ね後退を余儀なくされていきました。

鄭成功は勢力を立て直すために当時オランダ東インド会社が統治していた台湾に目をつけました。約1年間の戦を経て台湾にいたオランダ人を駆逐し、改めて台湾を明の領土に戻し、独自政権を打ち立てることに成功しました。

 

当時のオランダ政権下の台湾では、悪政が続いていたとされ台湾人の間では不平不満が募っていたようです。そのため、オランダから台湾を解放した鄭成功は英雄として親しまれているのでしょう。

 

「国姓爺合戦(こくせんやかっせん)」と鄭成功

中国の歴史映画を見ようとレンタルビデオ屋で棚を物色していたら2002年に日本で公開した「国姓爺合戦」に目が留まりました。

なんだか聞いたことがあるようなタイトルでしたが、はっきりとはわからず手に取ってパッケージの後ろを見てみると、中国明代の末期に大きく変わろうとする情勢に動かされながらもオランダ占領下の台湾を開放した英雄の話であることがわかりました。

 

その英雄こそが鄭成功で、先ほど紹介したように中国・明の皇帝より国性を賜ったということから「国姓爺」=「鄭成功」という意味を示します。

つまりは、「鄭成功の合戦」と言い換えることもできますね。

この映画も日中国交正常化30周年の記念として作られた映画です。

 

実は、日本では江戸時代に近松門左衛門が書いた人形浄瑠璃の「国性爺合戦」で親しまれてきました。後に歌舞伎としても上演された作品で、鄭成功を元にして脚色をしているので史実とは異なる話運びです。

 

「国性爺合戦」では、鄭成功のことを和藤内と呼びます。

その理由は「和(日本)でも、藤(唐・中国)でも内(無い)」という出生の状況を洒落で表現しているということだそうです。

 

芸者と鄭成功

日本と鄭成功の関係のもう1つ面白いのはお座敷遊びです。

 

日本には芸者を上げて遊ぶ風習があります。

芸者は宴席に華を添えて、唄や踊りなど接待のプロとして地域に根付いた存在でした。

しかし、時代が流れるに連れてそのような粋な遊びをする機会が減り、日本全国にあった花街も面影を残す限りとなっています。

 

最近では不透明だった花代を明朗会計にすることで利用者にわかりやすくしたり、お座敷遊びを体験できる場所も増えてきました。

そんなお座敷遊びで有名なのが、「金毘羅ふねふね」「投扇興」「とらとら」。

 

面白そうな動画を貼り付けておきましょう(笑)


「トラトラ」はポーズじゃんけんの一種で、和藤内・トラ・おばあさんの3役になりきることで、勝敗を決めます。そして、この和藤内こそが「国性爺合戦」でも登場した鄭成功をモデルとした人物なのです。

 

意外なところで日本の文化と繋がりがあるんですね!

 

日本で初めて本格的な喫茶店(コーヒー店)を開いた?!

まさか鄭成功が日本で喫茶店を開いたという話ではありません(笑)

鄭成功は日本で産まれましたが、中国・台湾へと渡っています。

しかし、鄭成功の弟は日本に残り、子孫も代々中国語の通訳をする「唐通事」という仕事を続けていたようです。

 

その末裔である鄭永慶(ていえいほう)がやがて明治21年(1888年)4月13日に日本で初めての喫茶店「可否茶館(かひちゃかん)」を東京・上野で開業したというのです。

明治時代といえば、「ザンギリ頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」という言葉が誕生したように、当時は西洋文化がとにかく日本になだれ込んで来た時代です。

 

日本の古風な文化と西洋の文化が急激に融合し始めたのもこの時代で、喫茶店もそのさきがけだったのかもしれません。

鄭永慶は経営があまり上手くなかったため、結果的には可否茶館は4年ほどでたたむことになりましたが、日本の喫茶店の始まりとして覚えておきたい気もしますね。

 

まとめ

鄭成功についての評価は人それぞれです。

 

台湾ではオランダからの解放の後、自治政府を起こして法整備や学校の設立などに尽力したことに重きを置いている傾向があり、国の礎を築いた偉人として親しまれています。

一方で、2014年に台南駅前広場にある鄭成功像の撤去を求めるデモがありました。台湾からしたら独立の象徴でもある鄭成功の像を撤去しろとはどういうことでしょう?

 

デモを先導したのは台湾原住民の市議でした。

この年のはじめに国父である孫文の像が引き倒されるという事件が起こり、それに倣い鄭成功の像の撤去を求めるデモを起こしたのでしょう。

台湾の原住民から見たら漢族の鄭成功は異民族の支配者の一人に変わらないのかもしれませんね。

 

こうした、歴史的事実とは別に、日本で鄭成功に関係するものごとが残っているというのも面白い話しです。

台湾についてもう少し知りたくなりましたか?


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コメント

  1. かい より:

    台湾を占領して台湾の独自政権を打ち立てることに成功しました。

    少し訂正させてください。

    占領というより、台湾にいてたオランダ人を駆逐し、改めて台湾を明の領土に戻しました。

    決して独自の政権を立ち上げることではありません。

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