美人(美女)の基準が面白い!時代が変わっても人は変わらず

Pocket

この写真は1973年に台湾で撮影されたとされ、今でも都会の中を歩いていても何ら違和感ない美しい女子高生の姿だと話題になったもの。

ただ女性の後ろに写る古めかしい風景とトラックが時代を伝えてくれる。

実はこの女性、台湾では「国宝美女」と呼ばれた有名女優ブリジット・リン(林青霞)さんの若き日(19歳)の姿なのです。

台湾では何かと話題になったりもしていたので、この写真を見てすぐに分かる人もいるかもしれないが、何よりもその美しさに注目される。

でも、美女(美人)の基準っていったい何でしょうか?

時代によって、美人と言われる基準が異なるという話もよく聞きますし化粧のスタイルも少しずつ違います。

その時、その時の時代で男性が魅了される女性の姿が変わるというのは面白いと思いますね。


sponsored link

スポンサーリンク

平安時代の美人は美しいとは限らない?

日本でもはるか昔から美人のネタというのは、様々な書物にも残されており、いかに世の中の男どもが鼻の下をのばしていたのかが想像できる。

時代が変わっても男は変わらないのかも・・・

さて、日本の平安時代の当時に絶世の美女と言われたのは世界三大美女の1人とされる

小野小町

小野小町

今、この絵を見て

…(*´д`)アハァ…

なんて顔している男がいるとは思えませんが、当時は絶世の美女と言われたそうです。

平安時代の美人の条件

  • 色白の肌
  • ふっくらした頬(しもぶくれ)
  • 長くしなやかな黒髪

まさしくぴったりと当てはまる絵です。

あくまでも書物に残っている女性像は高貴な貴族の女性が中心であり、庶民の女性がみなこのような容姿を努めたわけではないことは想像に容易い。

それに、絵だからこそ美しく見えるのであって現実に目の前にそのような女性があなたの前にいたらどうでしょう?

アワ((゚゚дд゚゚ ))ワワ!!

となりますよね。

嗜好や文化的背景の違いが大きすぎて、私なら少し後ずさりしそう。。。

いろんなサイトや書物にもあるように、平安当時の貴族女性の化粧方法は現在のものとは異なり独特です。
諸外国を見ても独自の文化が栄えだしたことを意味すると思います。

しもぶくれ

平安女性の化粧がこんなにことになっている理由

平安当時の貴族が暮らしていた宮殿は採光を考えた作りにはなっていませんでした。

つまり昼間でも明かりが必要なくらい宮殿の奥は暗かったとされています。

そのような中でもひときわ目立つようにと始まったのが白粉(おしろい)と言われています。

ただ、現在の白粉のように良質なものではなく水銀や鉛が入ったものを使用していたとされ、中毒症状もあったのではないかと考えられています。

さらに、白粉の質の悪さから時間が経てば乾燥してパリパリと顔から剥がれてしまうので、必然的に厚化粧になり、扇子(せんす)で顔を隠しながらできるだけ笑ったりして口を開けないようにして顔から白粉が剥がれるのを防いでいたそうです。

眉毛は全て抜き、少し上に描く「ひき眉」をします。
ひき眉の文化は飛鳥時代よりあったみたいで、平安時代になっても続いていたようですね。

なお、口紅はほとんどすることがなかったと言われています。
絵画で口元が赤く塗ってあるのは「口」を描くために塗っただけなのかもしれません。

このような化粧は昼間の明るい太陽の下では、決して美しくは見えないのではないか?
当時の殿方達もきっと同じ思いをするはず。
でも、こうした化粧をした女性が美しいとされたのは、暗闇に浮かぶ妖艶な白い顔が彼らを惹きつけたとしか考えられないです。

しかし、ここまで厚化粧になってしまうと化粧顔はもはや原型が解らないようになっているはずじゃないですかね?
しかも、みんな同じような顔。
なんで小野小町が絶世の美女って言われたのだろうか?

実際は彼女に関する書物や資料が乏しく、本当にモテモテの美人とされたのかについては疑わしいところです。彼女の姿絵も後世に描かれたもので、もしかすると美人像を創り上げられただけなのかもしれない。

「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせし間に」

百人一首にもある小野小町の代表句ですね。


sponsored link

飛鳥・奈良時代の美人

飛鳥時代の歌人で天武天皇の妃である額田王(ぬかたのおおきみ)

有力な資料が乏しく美人であったとする確証はないのですが、平安の頃の女性像とはまた違った風貌が漂いますね。
どちらかと言えば、古代中国の美人「楊貴妃」を思わせるような雰囲気です。

平安時代と飛鳥時代、ほんの100~200年くらいの時代の差ですが、女性の容貌は全く異なります。

高松塚古墳壁画
さらに、奈良明日香村の高松塚古墳壁画の女子群像。

高松塚古ができたのは710年頃ではないかとされるので、ちょうど平安時代が始まる100年ほど前ですね。

特別に美人図というわけではないのですが、当時の女性像を知る貴重な資料には間違いないと思います。
よく見ると「切れ長の目」に「しもぶくれ」という部分が特徴としてとらえられます。

この頃から平安女性のスタイルが出来上がってきたことがうかがえます。

こうした美人画の描写は絵画術として戦国・江戸時代にまで続きます。
あくまでも描写のテクニックです。

何が言いたいか
それは、現実のモデルの素顔とは少しかけ離れた描写がなされていること

平安前半期に日本は鎖国状態になり独自文化が栄えるのですが、その前に古代中国文化が盛んに入ってきていた時代には絵画術も当然伝来していたと考えられます。

平安前期といえば、まさしく「楊貴妃」の生きた時代。

彼女のようなふくよかな(グラマー)な容姿が絵として伝わったことでしょう。

当時の日本は中国(異国)文化が一番スゴイとする風潮が強く、女性の描き方は こうだ! みたいなところがあったんではないですかね。

それが、平安絵巻ののっぺりした女性なんだと思います。

そうした絵画技法はそのまま定着して後世まで残ったことで、現在に残る肖像画が誕生したのではないでしょうか。

そもそも、数十万年前から進化した人類が平安期からたかだか1000年くらいで顔がそこまで変化するとは考えにくいです。

実際は現代でも通用するような美人は存在したはずと私は思っていますし、本当はそういった女性の方が好まれたのではないか?

平安当時の物語である源氏物語の中で描写された文面に、当時美しいとされている絵巻のようなしもぶくれののっぺりした顔を「醜い」とする一節があることからも推測されますね。


sponsored link

戦国随一の美人

お市の方

この肖像画を見て誰だか分かりますか?

戦国時代が好きな人は知っていて当たり前かもしれません。

織田信長の妹であることが通説のお市の方 
豊臣秀吉もぞっこんであった美人と云われています。

肖像画を見ると、まだ平安期の描写技法が色濃く残っていますので実際の顔とは少し異なるのではないかと思いますが、美しさのオーラをなんだか感じるのは気のせいか?

ただし、この肖像画もお市の方が亡くなってから7年後に描かれたものであるため、本人に似ているのかどうかも疑わしい限りではあります。

当時の美人の基準といえば、「色白」「黒く長い真っ直ぐな髪」ということは、日焼けをしたり、天然パーマだと美人にはなれなかったということですな。

現在では個性があって好まれそうな容姿も当時は右にならえで避けられたのかもしれない。

ここまで、見てみて思うことは、「美人」と決めたのは時の男たち(時の権力者)、あるいは書物などに描く便宜上のルールなのかもしれないということ。

史実として資料に残るのは、多くが権力を握っていた者たちによるもので当然のことながら、彼らの好みの女性像が美しいとされるわけです。

だって、人の好みは千差万別なわけですから当時の権力者が天パが美しいと言えば、それが「美」の基準になったかもしれないですよね。

現在でいうところのマスコミも少しその気があるような気がします。

マスコミが「○○な女性が美しい!」とばら撒けば、世間の風がそうなびいていくように。。。

写真の伝来で残る美人たち

時代が過ぎて、江戸末期から明治になると西洋から写真が伝来し始め、そこには昔の美人たちも収められているのです。

もう絵じゃないので、リアルな姿です。

本気で …(*´д`)アハァ… となるかもしれません(笑)

日本で一番最初に写真を撮った人物とされ、現存する中で最古の人物写真といわれているものが1854年に撮影されたと記録にある田中光儀像です。

田中光儀

1854年は江戸時代が終わる頃
激動の幕末の時代です。

この頃以降は長い江戸時代の鎖国政策が終わり、西洋文化が盛んに入りはじめ明治の文明開化に繋がっていきます。

楠本高子
これは同時代1868年に撮影された楠本高子満16歳の頃の写真。
彼女は当時来日していたドイツの医師 シーボルト の孫にあたります。
美しいですねぇ。

篤姫
大河ドラマの主人公にも抜擢された天璋院 篤姫
第13代征夷大将軍 徳川家定 の正室。
撮影年は不明ですが、おそらく1870~1880年頃と思われます。

木戸松子
こちらは桂小五郎(木戸孝允)の妻である木戸松子 
篤姫と同じ時代を生きた女性ですが、明治維新が起きて見た目も西洋チックな雰囲気がすごくにじみ出ている写真です。
この方も一部で大変美しいと人気がある女性です。

こうして明治から大正時代に入ると 美人コンテスト のようなものも開催された記録もあり、多くの美女たちが写真に収められていきます。

時代が変わり、資料も豊富に残るようになってそれまでの一部の権力者たち周辺だけの「美人像」ばかりに焦点が当たっていたことが、やがて一派的かつ普遍的な昔の「美人」を垣間見ることができるようになりましたね。

昭和の太平洋戦争の頃には、芸能が影を潜めて美人を取りあげられることは少なくなったようですが、戦後の昭和時代から「テレビ」という文明の機器が登場することで、さらにスターと呼ばれる芸能人が続々と登場し始め現在に至ります。


sponsored link

昭和~平成の美人たち

吉永小百合
吉永小百合
1945年生まれ 女優

ひし美ゆり子
ひし美ゆり子
1847年生まれ 女優

南沙織
南沙織
1954年生まれ
1970年代のアイドルの代表ともいえる女性。
アイドルという言葉が使われ始めたのもこの頃。

山口百恵
山口百恵
1959年生まれ
俳優 三浦友和さんの奥様としてアイドル絶頂期の昭和55年に引退した有名な歌手ですね。
現在でも根強い人気があります。

松田聖子
松田聖子
1962年生まれ
言わずと知れた1980年代のトップアイドルで、当時は彼女の髪型を真似た「聖子ちゃんカット」が女性の間で大流行しました。
この頃から、女性アイドルなどの影響を大きく受けて特定のファッションなどが流行する傾向が強くなりましたね。

中山美穂
中山美穂
1970年生まれ
女優・歌手
「ミポリン」という愛称も定着し、この頃のアイドルや女優から愛称というものが公に呼ばれるようになった気がします。

まとめ

こうして並べてみると、メイクのしかたや美意識は大きく変化しているかもしれないけれど、江戸・明治・大正・昭和・平成と美人はやっぱり美人なんだぁということ。

今回は日本人を並べてみましたが、欧米でも台湾でも美人の基準というのは流行というものにもよるでしょう。

ただ、自分の好みはどの時代でも人それぞれでしょうか。


sponsored link

Pocket

関連記事

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする