仕事で頼れる人が側にいないと感じる時にあなたに足りないものとは

想い

弊社は現在、金属部品加工をメイン事業としており、いくつかの部品を台湾で作ってもらっています。

その間に入って、受注管理と仕事の振り分けをしてくれているのが、台湾現地で活動してくれている相棒のリンちゃん。

台湾で会社を立ち上げて、今は1人で頑張ってくれています。

 

台湾で作ってもらう部品は、量産だけでなく単品モノも沢山あります。

むしろ、単品モノの方が多い。

 

最近、徐々に認知してもらえるようになったのか、弊社のお客様の中には「台湾で」って言ってくれるところもあります。

あるいは「リンちゃんに頼んで~」ってご指名を頂戴することも(^^)

 

私のPR効果とリンちゃんの頑張りがそれなりに実を結びつつあるかなぁと思っているところです。

 

 

そんな努力とは裏腹に、台湾現地では製品の発注、引き取り、梱包、発送も全てリンちゃんが行ってくれているので、さぞかし体力的にも精神的にも疲労が溜まっているのではないだろうか?という心配が以前からあったわけです。

そんな心配が的中したのか、先日は部品加工とはまた違った内容の慣れない仕事に奔走して身も心もクタクタになった様子。

 

しばらく、様子がおかしい気がしたんですよね。

そしたら「もうヘロヘロで今は気力と体力が・・・」とのこと。

 

 

やっぱり頼る人が側にいないと辛いなぁ・・・

 

 

仕事をしていく上で、頼れる人が側にいることの心強さってすごく大きいと思います。

逆に頼れる人がいないことの辛さも多くの人の共感を呼びます。

あなたには、頼れる人が側にいますか?

頼れる人がいないと落ち込んでいませんか?

 

私もかつて、大学院時代にこの「人に頼ること」と「自分に足りないもの」を考える機会があったおかげで、今は頼る人がいないと嘆くことはなくなりました。

じゃぁ、頼る人がいない時にはどうしたらよいのでしょう?

 



孤独の研究を続けた大学院時代

私は大学を出た後、大学院受験をして医療系の研究室に大学院生として入りました。

今ではすっかり町工場で金属部品加工に従事する身となりましたが、これでも元々は医療系の学生だったんですよ(笑)

 

そこでは、DNAの組み換え、タンパク質の精製、細胞培養、ラジオアイソトープ(放射線)を使った実験、ウィルスによる遺伝子組み換えなどなど、いくつもの実験プロトコルを組みながら研究データを出してきましたし、論文も書きました。

 

ただ、順風満帆に大学院時代を過ごせたわけではなく、むしろ波乱しかなかったような気もします。

そこで、自立することの大切さを学べたかもしれません。

 

 

まず、私が入った当時の研究室は、学生数が20~30人程度在籍する大所帯だったので、多きな研究テーマごとにいくつかのチームに分かれて実験とディスカッションをしていました。

それぞれ5~6人程度のメンバーで構成されていたと思います。

助教・大学院生(博士課程と修士課程)・学部生などですね。

 

なので、研究内容や出た実験結果に迷ったり悩んだりした時にはチーム内の先輩や先生に相談して、改めて研究の方向性や実験方法を変えたりしていました。

もちろん、研究データの共有もその中でします。

 

だけど、私がチームとして組まれたのは当時、博士4年(大学院生)の先輩との2人だけ。

マンツーマンと言えば聞こえは良いのですが、先輩は大学院を卒業するための博士論文を書き上げるのに必死でした。

データが足りない、時間が足りないという状況。

 

なので、ほとんどかまってもらうことなく、もちろん研究テーマさえも与えてもらえず最初はずっと先輩の博士論文のためのデータを出すお手伝いです。

 

これには焦りを感じた私。

これじゃぁ、ただ単なる先輩の助手やんけ!!

このままだったら、自分が何のために大学院に入ったのかわからないよ~

 

ある日、もう吹っ切れたように実験の手伝いの合間に関連する様々な論文を読んでは、勝手に研究テーマを見つけたる!と思うようになりました。

後から聞いた話では、先輩が当時テーマとしていた実験内容が終わりそうにないので、そのまま私に引き継がすつもりだったようです。

 

当時の私って、自分で見つけたことで周囲に興味を引かせたい一心だったので、すごい反骨心むき出しだったかもしれません。

なので、とりあえずは自分で調べ上げた範疇で仮説と実験プロトコルを書いては先輩に「どう思いますか?」って聞きました。

 

「うん、やってみたらいいんじゃない?」

という予想通りの返事が先輩や先生からあったものですから、これで実験をする許可をもらったようなもんだと開き直りができ、必死に早朝・深夜と実験を繰り返してデータを集めました。

 

所詮、先輩は自分の博士論文のことで一杯一杯ですからね。

 

実験の手法は幸いにも学部生の頃に、別研究室の助手の先生から教えてもらったことをノートにまとめて持っていたのでそれを活用したり、あるいは実験マニュアルみたいな書籍を活用したり。

もう、とにかくやってみなきゃ分からない!って状況でした。

 

まず、どんな実験テーマを組むかについてが最も頭を悩ませました。

参考文献も全て英語論文ですし(私は外国語が超苦手なんです)、この研究分野では何が解っていて、何が解っていないことなのかを探す事から始まりますからね。

毎日が朝から晩まで孤独に論文を読んで頭の中の整理を行う日々です。

 

 

頼る人がいない孤独は試練

論文を読んでは疑問に感じたことをリストアップし、仮説を立てて研究として成り立ちそうなものを絞り込んでいきました。

最初は特定の研究テーマがぼんやりした状態からスタートさせたので、いくつもの仮の研究テーマを自分の中で持っていました。

 

 

1.仮説を検証するために実験プロトコルを書く

2.行った実験結果を見ては仮設の正否を判断する

3.判断に難しい場合はまた論文を読み漁り、新たな仮説を考える

4.予想通りの結果が得られたならば、再現性を確認する

5.結果をまとめて報告できる形にする

 

毎月くらいの間隔で、教授を含む先生や他の研究室のメンバー全員の前でスライドを使った実験報告をするタイミングがあったので、私がみんなに意見を求めるのはこの時くらいです。

だから、常に必死です。

 

 

また、大学院生である限り、一応は講義にも出席しないといけません。

 

修士課程は2年間。

その間に特定のテーマで修士論文を書き上げないといけないので、その実験データも揃えないといけない。

実験は再現性が最も大切であり、誰が何回やっても同じ結果が得られないとその実験データは正しいと判断できないのです。

ですから、同じ実験を3回、4回と繰り返して同じ結果が得られることを確認する作業も必要。

 

思わぬ想定外の結果が得られたら、また最初から検証内容の考察のし直しです。

さらに、学会発表がある場合はそのポスター作成とか原稿の用意もします。

 

 

他のチームに配属された同期とか後輩とかは、なんかゆとりを持って仲間内で「あーだ、こーだ」と話し合いながら、それぞれ分担して実験を行っている様子ですごく羨ましかったんです。

当時の私は、口を開けば愚痴しか出ませんでしたね。

 

なんで自分だけ、1人で全部やらないといけないんや?

なんで、ディスカッションするメンバーがいないんや?

くそっ!!

 

そんな気持ちで一杯でした。

 

当時、大学院の側(歩いて5分)に部屋を借りて1人暮らしをしていたので、朝は研究室に7時前に入り、夜は深夜1~2時に帰宅していました。

土日、祝日も一切なし。

借りていた部屋にはテレビすら置いていませんでした。

 

違う意味でひきこもりですね(笑)

 

 

同期の友人からは「何でお前、そんなに必死なん?」「もっと、ゆとりを持てばいいのに」って言われたのを覚えています。

その時は「まぁ、今頑張りたい時期やねん」とごまかしていましたが、内心は今に見とけよ!という気持ちでしたね。

 

その気持ちが功を奏したのか、自分の中ではそれなりに結果を出せたし満足はしました。

この時、自分で出来ることだけをやるのではなく、できる事を増やす、できるようになることを目指して努力することの大切さを痛感しました。

 

すごく初歩的なことですけれど、技術面においては人に頼って解決することほど楽なことはありません。

 

自分でやることに意味があるし、自分で考えた事が正しいか間違っているかを自分で確かめることで脳裏に焼きつきます。

物事を理論的に考え、検証するというクセは対人面で時に面倒くさく思われてしまうこともありますけれど、仕事の効率化を図るという面ではすごく心強いアイテムになる。

 

 

誰にも頼ることができなくて、孤独に頑張るしかないという状況を悲観的に捉えるのではなく、辛い経験も「転んでもタダでは起き上がらないぞ!」という精神で「何か1つでも拾って(得て)前に進んでやろう」と思う気持ちを持てるようになれば、人はレベルアップする。

 

ただ、頭でわかっていても中々難しいのが人ってもんです。

 

ダメだ~

しんどい~

辛い~

 

という弱音を吐きたくなるし、吐いてもいいだろう。

それは、自分に課せられた試練であり、それに果敢に向き合う姿は必ず誰かが見てくれているはず。

 

 

自分の器を見極められるのは、失敗することから学ぶ

仕事で頼る人がいない時、全てのことは自分次第ですからすごく大変です。

お客様からの要望を処理するのも、仕事のスケジュールを組むのも、仕事の内容を選ぶのも全てです。

 

だけど、頼る人がいないなぁと嘆く時には、必ず何かに困っているという状況であるということ。

それが、実務的なものであろうと、精神的なものであろうと何かが自分に足りないんですよね。

 

 

自分の容量内に納まる仕事なら、特別大きなストレスもなくこなせるしスイスイ前に進めるかもしれませんが、トラブルに見舞われた時こそ自分の器を知る機会でもあります。

今の自分にできることはこれくらいだと判断できるようにならないと、いつか体も心も壊れてしまいます。

 

ただ、器というのはずっと同じではなく、アクシデントを乗り越えて少しずつ少しずつ大きくするものだと思います。

結果を急ぐ気持ちが大きすぎて、自分の器以上のことを引き受けてしまったりしていませんか?

 

私は時々、断る勇気も大事やでって思う時がある。

でも、単純に難しそうやからパスするとか、面倒くさいからパスするというものではなく、今チャレンジすべきかどうかを見極めて、引くときは引くということ。

 

最も大事なことは、経験した辛くてしんどいことを次にどうするか?と考えられる余裕が心にあるかどうかです。

難題に立ち向かい、疲れ切って、乗り越えたとしてもその過程のことを整理できなければ意味がない。

 

次は引き受けない。

やり方を変えて対処してみる。

その判断は幾つもの情報を持ってしてするだろうが、適正な判断ができる余裕は欲しいと思う。

 

 

人は超えられそうで越えられないギリギリの高さのハードルが目の前にあるほど、乗り越えると成長するという。

辛いことがあってもそれは成長の栄養剤です!

 

本当に頼れる人を見つけたら

私は、仕事をする上で大切な仲間はいますけれど、特別に頼れる人ってのをここ最近は意識したことがありません。

というより、社内外すべての業務に関わってくださるみんなが私にとっては頼らざるを得ない人たちでもあるからかもしれません。

 

 

時々、映画などで師弟関係が出てくると、師匠っていたらいいのになぁと思うことがあります。

師匠ってすごいと思いませんか?

 

これって私の思い込みですけど、師匠って何だか絶対的存在なんですよ。

 

たとえ、自分の実力が師匠を超えたとしても、いつまで経っても師匠は師匠ですからね。

尊敬する存在であることは、きっと死ぬまで続くんだろうな。

誰にも相談できないことでも、師匠になら相談しようと思うだろうし。

 

 

だからこそ、もしもあなたに特定の信頼・尊敬できる人がいるのなら、その人の心が許す限りは頼るのもよい。

相談でなくても、話を聞いてもらうだけでも心が落ち着きを取り戻すこともある。

 

そんな信頼できる人というのは、誰もが持っているわけではないので、そんな人があなたに見つかったとしたら、きっとあなたは幸せ者ですよ。

私も師匠が欲しいわ~

 

 

おわりに

結局、仕事で頼れる人がいないと悩む人に足りないものとは何か。

 

1.自分のおかれている状況を把握し、どれだけのことを求められているのか。

2.その求められていることにどれだけ対応できるのか。

3.直面したトラブルの対処法を多角的に考えることができるか。

 

大抵のトラブルは事前準備なしに、勢いのまま進んだ先に待ち受けていることが多い。

事前準備(心構え)がないと、やっぱりトラブルに弱いものです。

事前準備があれば、仮にトラブルになっても誰に何を相談すればよいかの判断がしやすくなります。

 

行く末は「頼る」人から「頼られる」人になることを目指したいですね。

コメント

タイトルとURLをコピーしました